・十石舟・三十石船


平成6年に
伏見港開港400年を記念して復元された
江戸期の過書船です。

三栖閘門を中心に
往時の面映を巡る船旅が楽しめます。

左写真は三十石船です。
すれ違う十石舟です。
三十石船より気持ち小さいつくりになってます。

伏見港の歴史


遡れば
神話の昔から近畿一円のモノと文化が行き交う
この伏見を含む南山城地方は
舟運の要所でした。

幾年かが流れ
都が京に定まった時代
主な運搬手段が舟だったころ
この伏見は脚光を浴びはじめることになります。

そして世は院政時代に入り
白川上皇の鳥羽離宮造営とともに
都人のターミナルとして
この伏見は
歴史上に重要な地位を置かれる要所へと変わります。

さらに時代は進み、豊臣秀吉の時代。
彼は京にいたる要衝でもあるこの地に
伏見城」を築き
それとともに有名な「
太閤堤」を含む水路改革を行いました。
そして、文禄3年(1594年)城の建築資材を運ぶ要所として
伏見港を開港し、この地は更なる飛躍を遂げます。

城下町として栄え始めた伏見の町は
江戸期に入り更なる変貌を遂げます。

その起点になったのは角倉了似という貿易商の
高瀬川開削でした。
19年の歳月をかけ
京都二条から九条で加茂川を横断し、
この伏見で宇治川に合流する壮大な運河を完成させました。

その流れで川岸には幕邸が建ち並び
幕府公認の「
過書船」という舟が
軒並み往来するようになり、
伏見は交通・運搬の要所としてかっこたる地位を築きあげます。

さらに近代に入ると伏見港は
蒸気船の就航などによりもうひとつ発展。
「淀川舟運のスエズ運河」と呼ばれた三栖閘門とともに
年間2万隻も往来したと言われる全盛期を迎えます。

しかし、昭和に入り戦争も終わり
陸路の発達に伴い、伏見港も衰退
港町としての役割を時代とともに終えていきました。

十石舟・三十石船は
その伏見港の時代の流れの中の
江戸時代の過書船を復刻したものです。


(ひとこと)

この船旅はかなり優雅ではんなりです。
ただ、アナウンス用に流されるラジカセから流れる
女の人の説明はないものとされています。
船頭さんがかぶせるように説明してくれて
しかもテープは中途半端にぽちっと消されました。
まあ、それもよしか。

舟がエンジンで動いてるのが気持ち残念。


アクセス:京阪中書島駅から徒歩5分

・十石舟
乗船場所 月桂冠大倉記念館裏
大人 800円 子供 500円
所要時間 45分
運休日 月曜日(祝日を除く)
一日20本弱でてます。

・三十石船
乗船場所 寺田屋浜乗船場
大人 800円 子供 500円
所要時間 40分
運休日 月曜から金曜日(祝日を除く)
一日6本程度でてます。

予定が変動することもあるらしいので
詳しくは
「伏見夢百衆」にお問い合わせください。
tel 075-623-1360

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