・淀城跡


伏見城廃城に伴い、
徳川2代将軍
徳川秀忠により築城された
淀城跡です。

当時の石垣だけが残っています。



「歴史」

この「淀城」は、徳川2代将軍秀忠が、
元和5年(1619)の「伏見城」の廃城に伴い、
新たに木津川、桂川、宇治川の三川が合流する水陸の要所である
「淀」の地に築城を命じ、
寛永2年(1625)に竣工したものです。

翌年、秀忠、家光親子が上洛の途次には、この城を宿所としています。

その後、諸大名が次々と入城しましたが、
享保8年(1723)5月、
春日局の子孫である、稲葉丹後守正知が下総佐倉から淀へ移り、
明治維新までの百数十年間、
この淀は、稲葉氏十万二千石の居城でした。

なお、秀吉の妻、
淀君ゆかりの淀城は、
この城跡の位置から北方約500mの「納所」という場所にあったとされています。
今では痕跡はありません。


現在は、観光地というよりは町の公園の一部と化しています。

中高6年間この駅を使用してましたが
その十年後やっとたどり着き方を知りました。
それぐらい観光地化されてません。
京阪淀駅からはよく見えます。

アクセス:
京阪電車「淀」駅前

HOME